役員紹介

高島 俊和

内向的な子供が夢を追って

メガネの街、福井県鯖江市出身。

小学生の頃は、そろばんや習字、ピアノ、英会話を習っていましたが、どれも熱心にやるような子供ではなく、どちらかというと内向的だったと思います。しかし、音楽には興味があったようでブラスバンド部でトランペットを吹いている時は、『目立ちたい』そんな気持ちが溢れていました。

高校では山岳部に所属しましたが、大学に入るとやっぱり音楽をやりたい!となり、友人とロックバンドを結成して、ベースとボーカルを担当。その熱は収まることなく「本気でやるからには、東京に行かなきゃ!」と、田舎を出て、歌手を目指しながら、小学生向けの教材販売会社のセールスを始めました。

目的なくはじめた仕事・なんとなく踏み入れた不動産業界

世間はそんなに甘くありません。1年半やってみても、なかなか芽が出ませんでした。
私も多くの夢追い人と同じように、歌手になる夢は諦め、生きていくために仕方なく仕事をする道を選んだのです。

歌手を目指しながら適当に始めた仕事は、小学生向けの教材販売会社のセールスでした。
ノルマが厳しく、今月、ノルマ達成できたと思ったら、翌月は未達成。

毎月、ノルマにアップアップで、世の中の厳しさを感じ、苦しい日々を送りました。
そのストレスから十二指腸潰瘍を患い、1ヵ月入院。

退院後、気持ちを入れ替えて頑張っていたところ、教材販売会社を辞めて不動産屋に転職した元同僚から、
「不動産屋は、めちゃくちゃ楽しいし、儲かるから、辞めて来いよ」と誘われました。
そんなに楽しくて儲かるなら、と心が動きました。

元同僚の勤務する会社に伺い、店長に面接をしてもらうと即採用になりました。
いま思えば、この転職が私の不動産人生の始まりでした。

出会いはご縁

転職先は、客付け業者でした。
毎日楽しく働きました。

前職では、潰瘍になるくらい落ち込んだり、辛い思いを味わいましたが、
賃貸の客付けは、望んでいる人に対して、望んでいる物件を探して、成約して、手数料をもらえるので、こんなに楽しい仕事はないと思いました。

この頃に、東京の地理に詳しくなりました。

しばらくして、私を採用してくれた店長が転職してしまいました。
店長は、転職先の職場に「元の職場の人間を連れてくる」と約束したらしく、毎日のように「転職しろ」と説得に来ていました。

あまりのしつこさに根負けし、店長の転職先に転職を決意しました。
この時は、私を含め5人が、その職場に転職することになりました。

店長の強引な誘いで転職したにもかかわらず、会社は経営がうまくいかず、店舗を閉鎖することになりました。

これからどうしようかと思っていたところ、不動産の売買仲介をしている方とお客さんとして知り合い、
「売買仲介の方が稼げるよ。紹介するからやってみない?」と、誘われ、初めて不動産売買に携わることになりました。

古田社長との出会い。そして、共に30年

戸建て・マンションの売買の仲介業者に転職したこの頃、世間はバブルの真っ只中でした。
面白いように売れました。結構、稼げました。

ある時、古田社長が当時勤務されていた工場倉庫専門の不動産会社との取引がありました。
この時に、古田社長と知り合いました。

古田社長はこの時、
「マンションのデベロッパーから、工場倉庫専門の法人仲介の会社へ転職した」と言っていました。
その後も、古田社長と仕事で顔を合わせる機会がありました。
プライベートでも話をするようになり、古田社長に「同じ会社で働こう」と誘われました。

私も、賃貸の仲介、個人住宅の売買を経験してきましたので、工場倉庫専門の法人仲介は面白そうですし、新たな経験が積めると思い、当時、古田社長が勤めていた会社に転職を決意しました。

これまで、賃貸・売買を経験してきましたが、この会社のクライアントはほとんどが法人でした。
法人が購入する工場用地や倉庫用地の売買の仲介をやりました。
個人住宅とは違い、数億円もする不動産を扱いました。

青二才の若造が、何でも分かっているような顔をして、大きな金額の物件を扱っていたのですから、今思うと恐ろしいです。

この会社で古田社長と共に働きましたが、古田社長は、この会社を辞めて独立しました。
それが、現在の株式会社美都です。

古田社長は、たった1人で会社を立ち上げて頑張っていました。

古田社長に「俺の会社に来てくれ。俺と一緒に働こう」と、また、声をかけていただきました。
それはそれは、熱烈に誘っていただきました。

一緒に同じ会社で働いていたのですから、熱い人だとは知っていましたが、この時は、こんな会社を共に作っていきたいという思いに感銘しました。心動かされました。

思えば、ブラスバンドでトランペットを吹いていた頃、歌手になる夢を追って東京に出てきた頃に持っていた熱い気持ちはどこかへ消え失せ、毎日、目の前の仕事をこなす生き方をしてきたように感じました。
古田社長と会社作りについて話していると、自分の中に熱い気持ちが湧き上がってくる高揚感を覚えました。

不動産業界を歩いてきて、悪いことも、ズルいことも見てきました。

自分も多少、そのようなことをやった記憶があります。

しかし、古田社長は、そのようなことのない不動産屋を作りたいとおっしゃっていました。
今の誠実で堅実な経営は、創業当時から実行されていることです。

『朱に交われば朱くなる』

人は、働く環境で変わっていきます。

株式会社美都は、賃貸を専門にし、決して後ろめたいことのないよう、人には誠心誠意で接し、周りの人を幸せにすることに主軸を置いている会社です。

その思いにブレのない社長の元にいると、自分もそういう人間になりました。

居心地の良さや収入の高さを求め、転職を繰り返してきた私が、古田社長の元で30年もの長い間働いていられるのは、実務のテクニックを身につけたからではありません。

『人を育てる』という古田社長の理念のもとに、文字通り、私自身が育ってきたからだと今感じています。

仕事は確かに大変なこともあります。常に相手がありますので、思い通りにはいきません。
相手が複数人になり、意見の相違があると調整は大変です。

賃貸ですので、貸主と借主がいます。
両者の利害は、基本的に相反します。

オーナー様でも、ご自分の主張だけを通されるような方もいらっしゃいます。
オーナー様にご理解いただきながら、借主との調整も図らねばなりません。
大切にしていることは『誠心誠意』です。

また、自身の問題としては、営業ですので結果を出さなければならない側面もあります。
しかし、ここでも数字を追いかけるのではなく、お客様に喜んでいただくことに主軸を置いています。
そうすれば、おのずと結果はついてきます。

弊社で働いてみればわかると思います。
利益追求に主軸を置いていない、ここまでお客様のことを考えるのか、と驚かれることでしょう。
日々、人に会い、多くの人と関わるこの仕事は、1日としておなじ日がありません。
経験がなければ、積めば良い。
知らないことがあるならば、知れば良い。
そういう会社です。

「人を喜ばせて、自分も喜びを感じる」
私がこの仕事を通じて感じることです。
共感していただける方は、うちの会社は最高に楽しめる環境にあると思います。

社員全員、家族同然です。
昭和なことを、と思われる方もいらっしゃるでしょう。
しかし、『熱い気持ちが溢れている』そんな場所であることは間違いありません。

私はこれから、もっと多くのオーナー様と出会って、もっと多くのオーナー様を喜ばせたいです。
それが自分の喜びであり、自分の幸せであり、ひいては、会社を伸ばすことに繋がっていくことだと思っています。

そのためには、オーナー様に満足して頂かないとなりません。
楽しく仕事ができないとならない。

時に、辛い仕事もありますが、辛い仕事であっても、仕事ができる喜びを感じながらやっていきたい。
オーナー様に、「高嶋さん、高嶋さん」と追いかけられるようになることが理想です。

自分自身の成長と会社の成長を、しっかりとリンクさせて仕事に励む所存です。